前橋市立図書館所蔵松平家史料調査

一九七六年十一月十一、十二の両日、前橋市立図書館において、前橋藩松平家史料の調査をおこなった。史料の全体は、七五年三月に同館が発行した「前橋藩松平家記録総目録」によって知ることができる。総点数は約四〇〇、元禄十一年から明治二年までの「記録」、天保四年から明治十年までの「日帳」が、その主たるものである。今回は幕末期を中心に各史料の性格を検討した。番号は目録の番号である。
1〜273 記録 元禄十一年〜明治二年              二七三冊
  幕末期においては、江戸・川越・前橋・相州の四種がある。(この分類に含まれない 178・200・259 については後述。)
・江戸
  江戸藩邸の御用部屋日記。川越や相州からの書状を留め、藩主の動静、藩士の進退を記している。
・川越
  川越城御用部屋日記。江戸藩邸からの書状を留めている。
・前橋
  川越藩前橋陣屋御用日記。主として、江戸、川越からの書状を留めている。
 数年分で一冊となっている。
・相州
  川越藩が相州警備を担当した時期のもので、天保十四年、弘化三〜嘉永六年の各年のものがある。浦賀奉行からの達、江戸藩邸からの書状などをはじめ、相州預地支配に関する史料を多く留めている。なお、嘉永六年の記録(229)は、「川越藩相模警衛記録」として本所に謄写本がある。
178 御所替 別記録 天保十一年 川越               一冊
  原表紙には「天保十一庚子年十月より出羽国府内 江 御所替并御沙汰止覃弐万石御加増 別記録 川越」とあり、いわゆる三方領知替に関する天保十一年十月廿九日から同十五年二月廿六日までの記録である。
200 異国船渡来別記録 弘化二年 相州               一冊
  原表紙には「弘化二乙巳年ヨリ異国船渡来御人数出 別記録 相州」とあり、弘化二年二月十八日から嘉永二年十一月廿七日までの川越藩相州警備記録である。
259 御築城別記録 文久二年 前橋                 一冊
  文久二年十二月廿二日から慶応二年四月廿二日までの前橋城築城記録である。川越より前橋に居城を移すため、破却され陣屋となっていた前橋城を再築した際の記録。幕末期の築城記録として注目される。
275 雑史料
  松平家の文庫目録。壱番経書詩文書、弐番御書物類、三番雑書、四番雑書に分類され、それぞれ、朱「○」印、朱筆「イロハ」点、朱筆「道春点」、墨「合」印、墨「△」印、墨書註(例、熊本〓藩中詩作、河口三八識、石川丈山詩集、広沢作書法之本)、その他朱・墨にて訂正・抹消等あり。
278 御用留 弘化二年〜同四年                  四冊一綴
 1 原表紙に「弘化二乙巳年十一月より 弘化三丙午年正月より 弘化四未年御歩行頭御用留 江府多賀谷性」とあり、江戸藩邸御歩行頭多賀谷氏の御用留である。弘化五年十月廿二日まで記す。
 2 原表紙に「年中御取扱調 御変革ニ付是迄之御取扱御省略相成候ニ付文久三年亥年正月より御改之 奏者番」とあり、文久三年の藩政改革の一環としての諸節供その他の献上物省略規定である。
 3 原表紙に「御帰藩御願より御発駕迄下調」とあり、明治初年前橋藩知事の帰藩手続を記したもの。
 4 原表紙に「於川越御意振并披露方写 奏者番」とあり、吉凶、家督、番入、役付、参勤、町在寺社、武術稽古、学問、出火、武具虫干等に当って藩主より奏者番に伝えられた御意を留めたもの。
279 御用留 安政二年                       一冊
  原表紙に「安政[ ]自正月 御用留 千本榎御附」とあり。御側日記。藩主の起居の記事のみ記す。
286 興国院様御葬式帳 嘉永二年                  一冊
  原表紙に「嘉永三庚戌年 興国院様御葬式帳」とあるので、嘉永二年は三年の誤。正月十八日江戸表より藩主斎典の病気重篤の報が川越に到来してから、同二十日逝去、二十四日江戸発棺、二十五日川越岸村長田寺休棺、二十六日孝顕寺着棺、葬儀、二十九日孝顕寺発棺、仙波御廟所葬穴、以下葬儀・法事の次第を記し、同年十二月十八日喜多院に御廟所借受墓料年米三拾俵寄附の筈の所、先例に従い金弐百両寄附の旨の記事に及ぶ。插入文書二通あり。
 1 明治十五年四月廿四日松平直方蔵版日本外史偽版告訴状控
 2 明治十六年五月十五日より十九年十二月十五日まで日本外史発売部数並代金覚
294 御家中凶事寄 従天保七年至元治二年              一冊
  家中の出奔、役儀召放、遠慮、慎、隠居、差扣、乱心押込、御叱、下格、入番等の処罰記録。嘉永七年四月以降高輪陣屋出陣中の不始末の咎、京都出張中の不始末の咎が注目される。但し家中以外の百姓の例も散見される。
297 御家中善事寄 文久三年                    一冊
 文久三年から元治元年までの家中の出勤精励、出精稽古、炮術出精、家業出精や、諸吉例に際しての褒美の米・金銀銭・麻上下・三所物・鼻紙・苗字等の賜与を留めたもの。とくに築城の功績、滞京中の骨折、水戸脱藩浪徒警戒の出陣志願等への褒美が注目される。

『東京大学史料編纂所報』第12号